瀬戸焼を知る

瀬戸焼の歴史

大正、昭和時代

戦争と瀬戸窯業

大正3年(1914)に第一次世界大戦が始まり、これまで活発に陶磁器の生産を続けていたドイツ、イギリス、フランスが戦争に巻き込まれ生産がストップすると、その代わりとしての日本製陶磁器の需要は大いに高まりました。そのなかでも、当時欧米の子供達に親しまれていたドイツ製の精巧なノベルティ(陶磁器製の置物、装飾品など)に代わって、瀬戸産のノベルティの台頭が注目されます。

昭和4年(1929)の世界大恐慌、そして日中戦争、第二次世界大戦と続く戦争の時代へと突入し、陶磁器産業は軍需優先による影響を真っ先に受け、物資・燃料の欠乏を招きました。それでも瀬戸では伝統的技術の保存を行いながら、燃料の石炭の代わりに亜炭(皮木)を使って、生活用陶磁器や当時不足していた金属製品の代用品の生産へと移行することによりこの時代を乗り越えていきました。

戦後の瀬戸窯業は戦災をほとんど受けなかったことや、戦後の物資不足による生活用具の需要が高かったことなどにより、急速に復興しました。また、輸出が再開されると、ディナーセットや電磁器、ノベルティなどが盛んに輸出されるようになりました。 特にノベルティは、日本のノベルティ輸出額の大部分を占め、瀬戸陶磁器の代名詞となるまでになりました。大正期にドイツノベルティの模倣に始まった瀬戸産のノベルティは、この時、”セト・ノベルティ″として独自のものとなったのでした。

このようにして、戦後の厳しい状況をのりこえた瀬戸は、日本自体の高度成長を機に、一層躍進していきました。

パーティーの前

パーティーの前

丸山陶器株式会社 昭和35年
高さ(男)39.7
(瀬戸蔵ミュージアム蔵)

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